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塾長(小田原漂情)

1963年2月、東京都杉並区生まれ。中学時代から短歌等の実作を始め、大学では日本文学を専攻。卒業と同時に『歌人舎』舎主の鈴木實先生(株式会社画文堂社長)に師事し、その指導のもとで、25歳の時に第一歌集を出版。二十代で歌集3冊、エッセイ集1冊を出版する。

その後も旺盛に執筆活動をつづけながら、ずっと身を置く教育界では、少子化の進行や文部省(当時)による学校現場からの業者テスト追放、「ゆとり教育」化の完成など、教育の諸問題に第一線で向き合い、「教育」への思索を深める。やがて本郷の地にゆかりを得て、「論」より「実践」と思いを定めることとなり、塾開設に参画。

言問学舎の道のりもけっして平坦なものではありませんが、子どもへの教育と塾経営に真摯に取り組む中、復帰第一作とも言うべき小説『鉄の軋み』は『ノスタルジックトレイン』第3号に掲載され、好評を得ました。


実は私が二十代で出版した本のうち3冊(歌集2冊、エッセイ集1冊)の内容は、大半が青春時代の甘美な陶酔と苦みと訣別のために書かれたものです。先日も中3の女子生徒から、「先生、恋をしたのはいつですか」「自分からコクった(告白した)んですか」などと聞かれましたが、そんな遠い昔の想い出に属するあたりが、出発点です。

その後テーマとして自然環境保全の問題、20世紀末の現代社会などを見すえながら、表現の領域を拡げて行きました。

1993年6月刊
歌集『A・B・C・D』
堤防をちひさき蟹が這ひまはり這ひまはりつつ雨にぬれてゐる
1997年11月刊
歌文集『わが夢わが歌』 妻・明子との合著
1998年10月刊
歌集『奇魂・碧魂』
ジャスミン茶飲まぬか君よ何もかも知りつくしてゐる小雨の午後を

小説は自然環境保全の問題を考える上で書き始めました。が、表現者として、短歌で表現するべきものと小説で表現するべきものの区分けを思い、かつ小田原漂情だけが書くような中身というものを突きつめて行く中で、おのずと「人間性の回復」がテーマとして選びとられました。今は亡き恩人の一人、短歌人会の高瀬一誌さんが、「こういった仕事は、誰かがやらなければならない」と書いて下さったことが、ずっと支えになっています(『小説 呼子谷』について)。

2000年3月刊
『小説 碓氷峠』
2000年12月刊
『小説 呼子谷/花祭りと三河紀行』

・・・一定以上のレベルのものとしては、かなりのブランクがありました・・・。

2009年9月17日発売
 小説『鉄の軋み』(『ノスタルジックトレイン』第3号に掲載)

2010年5月刊
合同歌集『燁(かがり)』に参画

さて、一番長い間書いているのは短歌なのですが、これについては、「本格的な復帰」はまだしばらく先になりそうです。 もちろん、国語の授業中に即興で詠むぐらいのことはずっとつづけていますが、日々、短歌の韻律が体の中をかけめぐるという環境になるには、「日常」が散文的すぎるようですね。「子ども」や「教育」が散文的なのではなく、「経営者」というものが散文的なのだと思います。
けれども近隣の方々で、一緒に短歌の勉強をしたいというメンバーが集まれば、いつでも短歌教室なり歌会なりを、スタートさせる心づもりは持っています。 お心当たりの方はいつでもお声がけ下さい。

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