私の恩師との出会い
私が19歳の時、やがて生涯の師と仰ぐこととなる灰田勝彦先生が亡くなられました。先生は戦前から戦後にかけて第一線で大活躍をされた歌い手で、当時の私にとっては「懐メロ」の世界におられた遠い場所の方です。
一方私は、「物書き」のページで述べたとおりに、若いころは青春の陶酔と痛みに溺れかけていました。灰田先生の歌われた歌は、そんな私に、「まっすぐ正しく生きろ」ということを、深い部分で語りかけて下さるものでした。先生が私に残して下さった歌のおかげで、 私は立ち直ることができたのです。
(このあたりのことは、中・高生の卒業時に記念品としてプレゼントしている本『遠い道、竝に灰田先生』の中に、くわしく書いてあります。)
とにもかくにも、私は、灰田先生との出会いによって、
若い時分の出会い
もちろんほかにも、さまざまな方との出会い、お付き合いによって、自分という人間は形成されています。しかしながら、
その対象は、伝記や評伝の中の人物であってもかまいませんし、物語や詩作品そのものであっても、あるいは本を読むことで知った科学者の事績であってもいいでしょう。さらにはスポーツ選手や将棋の名人、学校の先生等々の場合もあると思います。
また願わくは塾の教師がそうした出会いの一例となりうるならば、塾冥利に尽きることです。
言問学舎の信念
言問学舎は、このような出会いの場であることをも、言問学舎の五角形の底辺の部分の付加価値として、心がけています。
それは「教育」の場のみならず、広く現代社会全般において不足しているものだと思うからです。
「人を育てる」こと、生徒が「自分らしさを知る」こと、この2つの理念の根底には、こうした信念があるのです。