いずこも悩ましき教育現場
読者の皆さんもよくご存じのことと思いますが、昨年平成十四年度から中学校の通知表(内申書)評価にもいわゆる絶対評価方式が導入されました。これは従来の相対評価で「5=7%,4=24%,3=38%,2=24%, 1=7%」とされていた成績区分の数値基準が撤廃され、代わりに観点別の到達度目標、習得目標を達成しているかどうか、その判断から評価対象の割合(%)に関わりなく、例えば一定ラインさえ超えていれば何人でも「4」の評価を出すことが可能になったということを示すものです。
その結果、教える現場と当事者である生徒たちの状況は、どうなったのか?
実は率直に言って、この変革がそれぞれの立場にどんな影響をもたらすのか、現状ではまだ確とした結論は出ていません。私どものような学習塾のみならず、公立中学校・高校、また私立高校など直截的にその制度に基づいた合否判定を為すべき現場でも、絶対評価のつけ方やとらえ方をどのようにすれば良いのか、深い悩みをかかえているようです。
いずれにしても大事なのは、制度や風潮のゆれにかかわりなく、生徒は己れの本分を尽くし、サポートするわれわれや家族はその子が進みたい道に進めるよう、適切な指導をしつづけることでしかないのでしょう。
本紙はお読み下さるすべてのご家庭と生徒のために、毎号有意義な情報を提供させていただきます。ご意見などもお寄せ下さい。
文化イベント活動スタート!
東大前教室では昨年十二月の開校時から、地域への貢献と塾生の感性涵養のための文化イベント開催を構想しておりましたが、今夏より体制が整い、本格的に活動を開始しました。皮切りは八月三日(日)、写真の東大前教室を会場として、「ヴァイオリンに親しむ夕べ~高田有里子を迎えて」、第二回は協賛店の三喜亭を会場に九月二十三日(火)、「朗読会『智恵子抄』を読む」を開催し、いずれも好評でした。詳報は次号にて。
また次回は十一月十五日(土)に、「聴く、歌う~『上海帰りのリル』と津村謙」を予定しています。
Vol.1 「二階建て新幹線①」
九月十六日、東海道新幹線を十八年間走りつづけてきた二階建て新幹線(一〇〇系電車)が、最後の営業運転を終えました。昭和六十年(一九八五)、それまで開業当初からの0系電車の独壇場(どくだんじょう)だった新幹線の世界に衝撃的なデビューをし、二階席のグリーン車や食堂車、そして個室グリーン車など特別な設備で「新幹線のもっとも華やかな時代」を作り上げたといわれる個性的な車輌でした。
最近では、最高時速二百二十キロという足の遅さ(!)がネックとなり、(ほかの形式はすべて二百七十キロ以上)、ダイヤの関係上からも、早期の引退を余儀(よぎ)なくされていたようです。
七月十四日朝、言問だより取材班は朝の東京駅に、引退間近の一〇〇系電車をたずねました。なつかしい二階建てグリーン車(写真右)、今見ると0系に通じるところのある前頭形状(写真左)など見るにつけ、あまりにも早い別れの訪れが、いまだに信じられない思いでした。七時十三分、新大阪行きの「こだま四〇五号」は定刻どお
りに東京駅を発車。グリーン個室の想い出をあれこれ思い返しながら、去りゆくものとの別れの時を惜しみました。
ただ一〇〇系電車が引退したのは、東海道区間のみ。山陽区間ではまだ健在で、そこには大先輩の0系も頑張ってます。
~はじめての甲府 ~はじめての甲府①
いまを去ること二十数年前の夏休み、当時高校三年生の漂情先生は、ひとりで甲府の駅に降り立ちました。日帰りだけど、はじめてのひとり旅です。いまとちがって、まだ駅ビルもない昔ながらの甲府駅についたのが、朝の八時四十分過ぎ。会社へ向かう人たちでにぎわう駅に、少し興奮気味で旅の一歩を記しました。この時先生は十七歳です。
その日乗って行ったのは、急行「アルプス1号・こまがね1号」という列車。当時国鉄(いまのJR)は、ちがう行き先の列車が途中まで一緒に走る「併結(へいけつ)運転」を数多く行なっていました。現在の山形新幹線や、秋田新幹線のような方式です。漂情先生の乗った列車も、長野県の辰野(たつの)駅で切りはなし、大糸線の信濃森上行きと、飯田線の天竜峡行きとに分かれることを、車掌さんが車内アナウンスで告げたのです。
そのアナウンスを聞いた時、漂情先生の心の中には、まだ見ぬ土地、未知の世界へのあこがれが、大きくひろがりました。今日は甲府までだけど、いつかもっと遠くまで、行ってみたい。自分の中で、なにかが変わった瞬間でした。
つづく
自転車は暗くなったら ライトをつけよう!
「見えるからいいや」「ダイナモで重くなるから」そう言って、無灯火運転していませんか?あぶない、あぶない。それはとってもおそろしいこと。
こちらからは見えていても、車のドライバーからは無灯火の自転車がよく見えません。けがをせず、毎日元気に過ごすために、うす暗くなってきたと思ったら、かならずライトをつけましょう。
はじめまして。いささか関わりのある、この本郷言問通りに身をおくこととなりまして、地域の皆様にご縁をいただければと願いつつ、『言問だより』創刊準備号をお届けする次第です。
ここ本郷は、東京大学の直近に位置し、そのため明治の昔、「高等下宿」が繁盛したと漱石の小説などにも書かれた土地です。本教室でも先般「『智恵子抄』を読む」を開催しましたが、文学ほかさまざまな文化、あるいは明治の文明開化の息づきを、そこかしこに感じることのできる土地だと言えるでしょう。
この言問通りにあって、小紙『言問だより』
を発刊できること、それはわたくしにとってこの上ないよろこびです。皆様のお心にすこしでも近づけるよう、一歩ずつ歩みをすすめてまいりますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
(漂)