うきたむの記 一
小田原漂情
結婚して月日を経るほどに、猫が好きになってしまった。もともと妻が、猫好きなのである。はじめのうちは、旅先や町なかで行きずりの猫たちを可愛がる妻の姿に、同意と懐疑、半分ずつの視線を送るばかりだったのだが、そのうちだんだんと猫たちの生態の面白さにひかれはじめ、家内が買ってくる雑誌『猫びより』など一緒にながめるようになってしまっては、もう駄目である。わが家のカレンダーは毎年岩合光昭氏撮影の「猫カレンダー」に固定され、休日ふたりでの散歩は《猫ウォッチング》という名称に、いつしか統一されてしまったのだ。
今回は、その「猫縁」が、新しい旅の出会いをもたらしてくれた。いまの私は仕事の性質上、晩秋から早春にかけてはどうしても息が抜けない。入試の結果を見届けた三月に、一時的に休息の時を見出すならいとなるのだが、それに先立って「どこへ行こうか」などと相談をはじめても、気持ちが落ち着かないのでなかなか答えは出てこないのだ。そんなある晩、家内がふと、山形県の上ノ山温泉に、『さくら』という名物猫のいる旅館がある」と言い出した。
山形県・・・。
正直なところ、今回はそれほど遠出をするつもりではいなかった。せわしない一泊の旅であるし、どこか近場で、ゆっくりくつろげる場所はないものか。そんなふうに思っていたのである。
しかし。
旅は本当は、できるだけ遠い、そして知らないところへ行くのがいい。山形は、む
かし芭蕉で有名な山寺(立石寺=りゅうし
ゃくじ)に一泊したのと、別に友人の供をして米沢へ車で日帰りしたことがあるだけで、なじみの深いほうではない。しかも上ノ山は、齋藤茂吉が生まれた土地だ。このところ短歌を書くことからもずいぶん遠ざかっており、涸れぎみの歌の泉に力をみなぎらせるためにも、山形という目的地は、この上ない場所であるかも知れない。
現実の算段と、旅にはせるそぞろな思いの高ぶりとの間には、力くらべは成り立たない。私にあっては、必ず後者が勝ってしまうのだ。結局泊りは上ノ山でなく、ひとつ手前の赤湯温泉に落ち着いたが、とにもかくにも行き先は山形と決定した。思いもしなかった猫のまねきが、いったいどんな
旅の時間を与えてくれることだろう。
高校入試も無事に終ってやっとひと息、はじめはまったく予期しなかった、未知の土地への旅立ちのときが訪れた。
山形方面への直通列車は、平成四年にデビューした初の新在直通型山形新幹線「つばさ」であるが、郡山まではあえて各駅に停まる「なすの二三一号」を利用する。以前に本紙でもご紹介した東海道新幹線の一〇〇系二階建て車輌につづき、東北新幹線で活躍した二〇〇系二階建て車輌までが、この三月十二日限りで引退してしまうのだ。だから最後の別れを惜しむため、郡山まで道行きをともにしたのである。
郡山では、平地に雪は積もっていない。が、ホームの端の方には除雪したあとの雪のかたまりが、こちらに一つ、あちらに二つと置かれている。三月に入ってから、全国各地で降雪がつづいているのだ。はたして山形は、どんな状態なのだろう。一応身仕度はととのえてきたから、今日の出会いがどのようなものになるのかと、先途をそぞろ神の心ひとつにゆだねるばかり、到着した「つばさ一〇九号」の指定席に体をあずけ、車窓の景色にあてなく視線を泳がせる。郡山から福島までは、十七分。
福島駅で、うしろに連結されている「MAXやまびこ一〇九号」と分割され、高架の新幹線ホームから、地平の奥羽本線(山形新幹線)へと、鉄道のスロープをゆっくりすべり下りてゆく。妻はもちろん、私にとってもここからは未知の区間となるわけである。
明治のむかしから昭和にかけて、全国各地に鉄道が敷かれた際、山国である日本では、随所に鉄道建設上の難所が存在した。旧信越本線の碓氷峠越えはあまりにも有名だが、ここ奥羽本線の板谷峠、福島から米沢へと越える天嶮も、かつては補助機関車の助けを要する難所として知られたものである。途中の「峠」駅では、往時は特急を含む全列車が停車したので、駅売りの「峠の力餅」が、この道中に欠かすべからざる名物だった。今の「つばさ」は一列車とて峠駅には立ち寄らないから、米沢駅や列車内での販売に、活路を求めているという。
つづく
本教室直近の文京六中は、六月十四日から三日間、京都・奈良への修学旅行でした。早めの梅雨入りだったにもかかわらず、全日お天気に恵まれて、運のよい子たちだったと思います。
二学期実施の学校はこれからのお楽しみ、それに先立ってご家庭単位でも、夏休みから秋にかけていろいろご予定がおありのことと思います。
いつも比較的かたい内容をお届けしていますので、今回はちょっと趣向を変えてみました。三者三様、行き先も見たものも感じたものもみな違うわけですが、皆さんにはどの紀行が、お気にいりましたでしょうか。「教育」とは机の上の勉強だけでなく、自然や歴史、地方の風物や人の心などを知り、知った上でそれぞれの感性を育てることに、大きな意義があると思っています。
そんなことから、思い切ってほぼ全面を紀行特集とした次第です。読者の皆様からの投稿も、積極的に掲載させていただきたいと考えていますので、いつでもお気軽に原稿をお寄せ下さい。なお紙幅のつごうにより、私の文章のみ次号以降への連載ものとさせていただきました。