また読むこと、書くことの双方を身につけるのに、詩の勉強を活用します。
国語の「本質」なり、「エッセンス」なりをつかむのには、詩がいちばん早く、効果的です。
「詩」というものは、理論ではなく直接心情に訴える(中村光夫『小説入門』)ものであり、もっともダイレクトに心に響く「ことば」だからです。
『小説入門』が題材の授業(中3)では、次のように詩と散文の違いを教えます。
月を見ると心がふるえる
その白い光の中に
きみのおもかげが浮かんでやまない
ああ あの限りない真円の奥にひそむ
甘くふしぎな夢の世界を
きみも今ごろ見ているだろうか
修学旅行の時、みんなで月を見ていた。その時月の光に照らされていた彼女の横顔に、僕はとても強く魅かれてしまった。それ以来、満月の夜が待ち遠しくてたまらない。そして曇りのない満月を眺めていると、その中に彼女の顔が浮かんで見える。
いつか二人きりで、いつまでも月を眺める日が来るだろうか。その時どんな話を、すればいいのだろう。そんなことを思っていると、胸の奥がうずいて来る。今ごろ彼女も、僕と同じあの月を眺めているだろうか。
詩の言葉は直接心に語りかけ、散文は状況を説明することで、読者に物語としての理解を得させる、というものです。
国語(現代文)の中でも、文学的文章と説明的文章があり、文学においても詩歌と小説ではこのように本質的な差異がある、ということを押さえた上で、有効に詩の授業を活用している言問学舎の国語教育です。
もちろん、「え~詩なんて書いたことない」「どうやって書くの」と大騒ぎする子どもたちも、時間内に一、二篇の詩はきちんと書き上げます。
「題材」を思いつくままに挙げさせ、いくつかのヒントをあげるだけで、子どもたち自身の持っている「感性」が、おのずとあらわれて来るのです(自由詩の実作は、小学生から中1までです。
中2になると、やはり「照れ」が強くなるので、短歌または俳句=定型詩の方が向いています)。
根底にこうした国語力の裏付けがありますから、私立中入試などでよく見られる、社説や四コマ漫画の要約・展開など、新しい傾向の出題・課題への対応も、手なれたものです。